column/essay 🍇『受難と復活と祈り』

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4週間におよぶレントの期間(受難週)が過ぎ、3/31(日)にイースター(復活祭)を迎えました。
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この間、立て続けに困難と苦難に見舞われ、編入試験もいったん手放し、水面から顔を出した金魚が口をパクパクするような気持ちで、天を見上げては、主のみこころ(※神様のご計画)を尋ね求めていました。
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ちょうどレント(受難週)だったこともあり、ドロローサへの道(Via Dolorosa)を歩まれたキリストの苦しみと重ね合わせ、
また、水難事故や迫害や投獄など、何度も死に瀕する経験をする中で「キリストの苦しみの欠けを満たしている」とまで言った使徒パウロの苦しみとも重ね合わせて、
「自分の身に降りかかっているこれらもすべて ‘意味’ がある」ことを思い、おそらくは(聖書の言う)『聖め』のためのトレーニングだろう、…と考え、受けとめていました。
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『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』
(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)
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これは、キリストが十字架の上で叫ばれた言葉です。
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キリストは完全に父なる神から見捨てられました。
それは自らを贖い(あがない)の代価とし、私たちを…私を救うためでした。
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神のシナリオは完全です。
しかしあまりにも悲惨…。
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それほどまでに私たちの贖われなければならない罪が重いからです。
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しかし感謝なことに、この神のシナリオは十字架の死という悲劇で終わりません。
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救い主の誕生(クリスマス)⇒ 十字架の贖いの死 ⇒ そして、キリストの復活(イースター)へと、神のシナリオは続きます。
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イエスは言われました。
『私は復活であり、命である。
私を信じる者は、死んでも生きる。
生きていて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない。』
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このイエス・キリストの復活こそ、私たちに希望をもたらしてくれるものです。
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輪島、羽咋、七尾にある教会も被災しながらも、全国から来られているボランティアの人たちとともに、被災地の方々の復旧・復興のために立ち上がっています。
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ですから、私自身どんな困難にあってはいても、被災地の方々のために毎日こうお祈りしています。
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『こうして祈っている間にも、立ち上がって、足を一歩踏み出そうとしている方々に、勇気と希望をお与えください。』✝️🛐
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イースター(復活)の希望と、インマヌエル(神われらと共にいます)のお約束を心におぼえながら、お互いに、4月からの歩みも、その一歩一歩を大切にしていきたいものです。