essay/?『勝ち負け??️?世界大会』と映画『炎のランナー』

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◆10月7日、8日の両日にわたり、日本武道館で少林寺拳法の?️?世界大会が行われ、都道府県大会で優勝していた?ぶどうクラブのA君も出場しました。

残念ながら決勝には残れませんでしたが、本人は、定期考査直前+大学入試の勉強もあり、十分な練習ができない中で、自己ベストを尽くせたとフィードバックしています。

実際、傍目にも、自分より段位が上の参加者に勝るとも劣らない結果に見えました。
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◆ところで、前々回のブログでもふれたことですが、『勝ち負け’ の中で自分のアイデンティティーを確認しようとする』ことは、比較教育の歪みを助長することになるのではないでしょうか。

大学入試もさることながら、スポーツなどの勝負事に ‘勝ち負け’ は付きものです。

どう考え、受けとめればよいのでしょうか。
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◆1つの答えは、アカデミー賞4部門を受賞した映画『炎のランナー(Chariots of Fire)』にあるのでは?と思います。

今もCMやスポーツ大会などで流される、あのヴァンゲリスの不朽の名曲がテーマ曲の、1924年のパリオリンピックの実話に基づいた映画です。
⇨https://youtu.be/Xkc6TB4EeqI?si=xu9S0dPUVB8jbaEX
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◆『炎のランナー』あらすじ

ハロルド・エイブラハムはユダヤの血をひくとして、周囲から差別と偏見を受け、その鬱憤から陸上競技にのめり込み、ついに?‍?ケンブリッジ大学の陸上競技の4人組の一人と言われるまでになり、オリンピック選手に選出され、ライバル国で強豪の?米国選手に勝つために、大学の趣旨にそむきプロのコーチと契約します。
彼にとって陸上は、まさに偏見との戦いの果てにある、自分の存在証明でした。

その4人とは別に、同じイギリス代表の、牧師の家に生まれたエリック・リデル。

オリンピックの前年の国内大会でエイブラハムに勝ったリデルは、「神は敬虔な私を造り、そして速い足を授かった。走る時、神の喜びを感じる」と、そのように信じて走ります。

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◆1924年のパリオリンピック

エイブラハムは100m走で優勝します。
一方で、100m走の予選が日曜日だったため、敬虔なクリスチャンのリデルは出場を辞退します。
パリに向かう船の中?、選手団を率いる英国の皇太子が、「個の信仰を犠牲にしてでも、国への忠誠心を示さなければならない時がある。今がその時だ」と、リデルに出場を迫りますが、リデルは出場を固辞。

そのときに映画の場面に出てきた聖書の言葉が(私の記憶が正しければ)以下です。
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『見よ。国々は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島々を細かいちりのように取り上げる。

すべての国々も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。

あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。

疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。

若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。』

(Isaiah chapter 40, verse 15, 17, 28-31)
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◆そんなリデルに、自分より金メダルを獲れる可能性が高いと「ノブレス・オブリージュ」を表現した同僚のアンドリュー・リンゼイ卿(※実在の人物名は、デヴィッド・バーリー卿/1905-1981)が400m走の出場を譲ってくれて、リデルは400m走で金メダルを獲ります。
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*ノーブレスオブリージュ(noblesse oblige)とは、身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観
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◆金メダルを取った後、彼は中国に宣教に行き、そこで脳腫瘍で?命を落とします。

その(おそらく実話に基づく)ストーリー『最後のランナー』という映画が2018年?に公開されているようです。
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※余談ですが、洋画は聖書の素養がないと表面的なストーリーしか見えないため醍醐味を味わえず、評価が分かれるだろうな…などと思いました。
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◆長くなりましたが、社会の歪みを助長する結果に陥らないための ‘カギ’ がここにあるのではないでしょうか、というのが、私の結論です。
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【後書き】
?️⌛わっ?️ゴミ収集車が来る時間!待って、待って、待って!セーフヽ(^o^;)ノ
?️?世界大会、予選通過~?
みたいなカンカクで生きていたら、勝ち負けに関係ないという…。
例えがちょっと違いますね。