column/essay ?『喜びと祈りと感謝』

『いつも喜んでいなさい
 絶えず祈りなさい
 どんなことにも感謝しなさい』
Ⅰ Thessalonians 5:16-18
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ミッションスクール出身の人なら必ず一度は目にしたことがある聖書の有名なことばです。
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最も好きな*みことば(=聖書のことば)に、これを選ぶ人も少なくないと思います。
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しかし、平時ならまだしも、能登半島地震の被災者をはじめ、戦争や地震や津波や火災等の災害に遭い、今まさに恐怖と悲しみ、不安と痛みと困窮の真っ只中にいる被災地の人たちや子どもたちを前に、「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝しましょう」とはとても言えません。
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実は、‘このことば’ を送られたテサロニケの人たちもまた、迫害と患難の中にありました。
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喜ぶことも、祈ることも、感謝することも難しい状況に置かれていたのです。
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そうでなければ、この手紙の著者であるパウロは「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝しなさい」と書く必要がなかったでしょう。
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聖書のことばを通して、主は語りかけてくださいます。
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ですから、目を上にあげ、インマヌエル(= ‘神は私たちと共におられる’ の意味)の主に目を向けて、このことばを読むときに、
喜ぶとは、主にあって喜ぶ、
祈るとは、必ず聞いてくださっているこの方に祈る、
感謝するとは、この方が最善をなしてくださっていることを思い、感謝する。
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主を目の前に置くときに、道が拓けるというわけです。
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長く続く迫害と患難の中で、テサロニケの人たちがどんなにか素晴らしい成長をしていく様子をテサロニケの第二の手紙から知ることができます。
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日本中の、否、世界の他の国の方々も、能登半島地震の被災地のため、被災者の方々のために祈っています。
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被災地の方々だけでなく、私たちもですが、
喜べない。祈れない。感謝できない。…そのような状況に置かれていて、何の希望もこれっぽっちも見出だせないとしても、あきらめずに目を上に向けるとき、そこには、『あなたを決して見放さず、見捨てない』と語りかけ、遠くから見ているのではなく、日々の ‘現実’ の中に介入し、リアリティーをもってかかわってくださろうとしておられる方の真実に出会えることを信じて、一歩ずつ前に踏み出していく歩みをしたいものです。
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被災地の一日も早い復旧と、被災者の方々の心が折れることなく耐えられるようにお祈り申し上げます。