??『‘私の’ ヨナの物語(笠岡での3年半の『意味』)』

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先日ある方から、「あなたはヨナのようですね」と言われました。
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ヨナとは、北王国イスラエルの王ヤロブアム2世の治世(前787~前747)に活動したユダヤ人の預言者です。
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ヨナは主から、ニネベにさばきのメッセージを伝える使命を受けますが、主の言葉に逆らって、背を向けたので、……中略……大嵐で荒れ狂う海の中で大きな魚に飲み込まれます。
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ヨナは三日三晩魚の腹の中にいました。
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その時ヨナは主と自分とに対峙し、真摯に向き合います。
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? 『 ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、 言った。 苦難の中で、わたしが叫ぶと 主は答えてくださった。 陰府の底から、助けを求めると わたしの声を聞いてくださった。』
(ヨナ書 2章2‭-‬10節)
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ヨナの切実な祈りを聞かれた主は、ヨナを魚の中から救い出されます。
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私にとって、笠岡での3年半の『意味』は、まさにこのヨナの経験だったと思います。
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いえ、ヨナが魚に飲み込まれる前があったように、私のそれも二十歳の頃からのすべてを含めて、答えがそこにあったのかもしれません。
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……………
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その後、ヨナはニネベの町の人々に主の言葉を伝えます。

するとニネベの人たちは王も大臣も町全体が、粗布をまとい、断食し、悔い改めました。
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? 『 神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。』
(ヨナ書 3章10節)
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敵国アッシリアの首都ニネベの町に、主が災いを下すことを『思い直された』のです。
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? 『 ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。
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彼は、主に訴えた。
「……略…… わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。」』
(ヨナ書 4章1‭-‬2節)
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憤懣遣る方無いヨナに対して主は…、
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? 『 主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ。』
『 ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。』
(ヨナ書 4章6-7節)
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一本のとうごまの木。
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後に続く文脈からすると、これは主がヨナに、ご自身がどれほど人間を愛しているかを知らしめるための example ですから、意味合いは違うのですが、
かつて神学校で学び、中途で挫折した自分が故郷に戻り、不登校児のお世話をしていたらそれが生徒数200人の塾になった時も、「これはとうごまの木。一夜にしてなくなるもの。」という意識をいつも持っていました。
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「これは本当に自分がしなければならないことではない」という思いに縛られたまま、今日に至り、ゴールでありスタート地点は『戻ること』だと思っていましたが、そうではなく、主と自分とに真実に対峙し『悔い改めること』こそがスタートなのだと教えられた、それがあの、岡山での3年半の『意味』だったと、今ようやく知ることができました。
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預言者ヨナの魚の中での体験に比するにはおこがましいですが、今度は本当に『戻ること』、そして本当のスタートをできることを、畏れおののきつつ思っている次第です。
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*復学後も?ぶどうクラブは、希望者がいれば人数限定で応援しようと思っています。