?『被害者意識の向こうに ~ ‘私の’ ヨナの物語(続き)~』

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前回のブログで、
『ヨナは主から、ニネベにさばきのメッセージを伝える使命を受けるが、主の言葉に逆らって、背を向けたので、……大嵐で荒れ狂う海の中で大きな魚に飲み込まれた』
と書きました。
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『大きな魚に飲み込まれた』
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絵本などでも、大きな魚の口の中に飲み込まれていくヨナのイラストが強調されるあまり、‘そのように’ 記憶している人も少なくないかもしれません。
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しかし、聖書の記述どおりに正しく読み直してみると事実は違います。
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『さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。
 ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。』
(ヨナ書 2章1節)
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『魚に飲み込まれた』のではなく、荒れ狂う嵐の海の中で、今にも溺れて海の藻くずとなりそうだったヨナを、主が『魚に飲み込ませた』のです。
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私たちも、友人関係や親子関係、経済的行き詰まりなど、荒れ狂う人生の海の嵐の中で、その藻くずとなって散ってしまいそうに感じる場面に出遭うことがあります。
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そのような時に、「ああ、もうダメだ」「未来が見えない」「不憫(ふびん)だ…」「なぜ私だけが…」などと、『飲み込まれていく』という被害者意識にとらわれて、自己憐憫(じこれんびん)に陥ったり、自分の人生を呪ったりするのではなく、
主がヨナに『嵐の海の中で溺れないように魚を備えてくださった』ように、きっと解決の道が備えられている、主がそうしてくださる、…そこに心の目を持っていく。
その時、‘魚’ の見え方が180度変わっていく。
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もつれた糸。何の意味もなくぐちゃぐちゃにしか見えない、多くの糸の切れ端。
しかし、それをひっくり返してみると、色合いも見事にコーディネートされた絨毯(じゅうたん)になっているように、
‘今’ はその苦しみの意味がわからなくても、その時になったら、すべてがインテグレートされ、コーディネートされていたと知る時が来るようです。
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『いま知らず、のち知るべし』ということばがありますが、
 ‘その時’ が必ず来る、と信じて歩んでいきたいものです。